CDいろいろ Feed

2016年1月 3日 (日)

○○年の作曲家(2016年版)

さて、新年の当ブログで毎回取り上げているのがこのシリーズですが、今年は比較的新しい生誕100年の所に個人的にはかなりツボな方が集まってまして、ざっと並べても、スティーヴンス、エステベス、ヒナステラ、デュティユー、ヒメネス・マバラクと、世間的な扱いはマイナーでもそれなりに存在感を残す人たち、さらに日本では柴田南雄さんが生誕100年に当たります。


その上はというと、没後100年にグラナドス、生誕150年にサティ、ブゾーニ、カリンニコフといった少々クセのある名前が並びます。こうしてみると、指揮者を含め、むちゃくちゃ有名なビッグネーム、という人は見当たらないですね。


Dca654

ここで取り上げる1枚は、そのうちアルゼンチンの作曲家、アルベルト・ヒナステラ(ジナステラ)。サバレタが初演したハープ協奏曲は、この楽器の音のイメージに逆らうような「攻める」協奏曲。「エスタンシア」は民族色が強く、リズムが独特な雰囲気を形作る彼の代表作の一つ、最近結構有名になってきているらしいですね。ピアノ協奏曲も、彼の壮年期の傑作だと思うのですが。


このディスクは、80年代から90年代にかけて、Musica Mexicanaのシリーズを録音したバティス指揮メキシコシティ・フィルの組み合わせによるASVへの録音。この組み合わせらしく迫力のある演奏ですが、結構きれいな録音です。ヒナステラは日本ではそんなに有名な作曲家ではないですが、意外に録音の数は少なくないんですよね。


(参照ディスク)
ヒナステラ: ハープ協奏曲、「エスタンシア」組曲、ピアノ協奏曲
アレン(Hp)、タラーゴ(Pf)、バティス指揮 メキシコシティ・フィル
ASV DCA654 (1989年頃録音)


2015年9月13日 (日)

[ストラヴィンスキー]「花火」と「火の鳥」の間

確かにいろいろと調べると曲の存在自体は記載されているのですが、参照ディスクとして挙げている初期曲自演盤のライナーにもこの曲に関してはひと言も触れられていません。これは聴いてみたいですね。





1908年というと、ストラヴィンスキーはまだ自分の強い個性を打ち出した作品を世に生み出す前、参照ディスクにも入っている「幻想的スケルツォ」が完成し、師であったリムスキー・コルサコフが亡くなる直前に「花火」が作曲された頃、そして彼の作曲家人生に大きな影響を与えたディアギレフとの出会いがあった頃ですね。そして翌年に重要な出世作、「火の鳥」が生まれます。


「花火」がリムスキー・コルサコフの娘の結婚を機会に書かれた小品である一方で、その後に書かれたこの行方不明作品が、「花火」初演時には既に他界していたリムスキー・コルサコフへの哀悼の歌、ということで、自分の音楽的な師に対する思いが込められた作品であったでしょうし、本人も気に入っていた作品だったようですので、広く世に出て欲しいと思いますね。


(参照ディスク)
ストラヴィンスキー:火の鳥、ロシア風スケルツォ、幻想的スケルツォ、花火
ストラヴィンスキー指揮 コロムビア響、CBC響
CBS: MK42432 (1961-63年録音)

Mk42432

2015年1月 1日 (木)

○○年の作曲者、指揮者、演奏家

というわけで、当ブログでは毎年元日にエントリしているこのネタ。これがまた、今年は昨年を上回ってメジャーな作曲家のきっちりAnniversaryがない年。生誕150年ならシベリウス、ニールセン、デュカ、グラズノフ、マニャールと結構な名前が揃うのですが、あとはスクリャービンが没後100年ぐらいか。ゴルトマルク没後100年とか、ワルトトイフェル没後100年とか、タネーエフ没後100年とか、ヴァレーズ没後50年とか、山田耕筰没後50年とか、パーシケッティ生誕100年とか、D.ダイアモンド生誕100年とか、ちょっとネタ的にしんどいかなあ、と。


では、と指揮者に目を転じると、こちらも有名どころの生誕100年が去年のように並ぶことがなく、クナッパーツブッシュ没後50年、アンゲルブレック没後50年というのが目立つ格好。


演奏家方面で行くと、やはり大きいのはリヒテル生誕100年でしょうか。他にはリンパニーやシュナイダーハンの生誕100年あたりが目につく程度かと。


Richtercarnegieとなると、今回はネタにできそうな人が少ないなあというわけなんですが、とりあえず←こちらで。


これは冷戦真っ最中の1960年12月、リヒテルがカーネギーホールに乗り込んで行ったリサイタルのライヴ録音。ハイドンからラフマニノフ、さらにプロコフィエフの6番ソナタまで攻めるプログラム。50年代の西側では「幻のピアニスト」とも呼ばれた(既にチャイコフスキー・コンクールの審査員であった件はこちらのエントリ参照)全盛期のリヒテルが1960年になって西側での演奏を当局から許可され、Roadに乗り込んで残した貴重な音源。さすがにこういう場に臨む気合いが伝わってきます。各曲別録音もあるのでこれをまず聴くべき、ということではないかも知れませんが、このピアニストに関して欠くことも難しい1ページではないかと。このパッケージは既に廃盤ですが。



(参照ディスク)
ハイドン:ピアノソナタ第60番、ショパン:スケルツォ第4番、バラード第3番、ラフマニノフ:前奏曲Op.23-1, Op.32-9,10,12、ラヴェル:水の戯れ、鐘の谷、プロコフィエフ:ピアノソナタ第6番、束の間の幻影より、ガヴォット、ドビュッシー:アナカプリの丘、ショパン、練習曲Op.10-10,12、マズルカOp.24-2
リヒテル(Pf)
RCA: 09026-63844-2 (1960年録音)







2014年1月 1日 (水)

○○年の作曲家、指揮者

毎度のことながら、年が変わりますとやっておりますのがこのエントリなんですが、ヴェルディ、ヴァーグナーと大物が並んだ2013年とは違い、2014年は作曲家関連であまりキリのいい人がいないのであります。主なところではR.シュトラウスの生誕150年、ぐらいでしょうか。でもちょっと中途半端ですね。



一方、指揮者ではざっと見ただけで生誕100年がフリッチャイ、コンドラーシン、クーベリック、ジュリーニ、A.ヤンソンスなどと目白押し、そしてモントゥー、M.パシャエフといったところが没後50年です。何か企画ものが出て来そうな雰囲気ありますよね。



Cdcover_uccg3960当ブログでも一度は採り上げたことのある指揮者が並んでおりますが、ここではまず、クーベリックがDGに非常に多くの録音を残していた1970年前後のもの。比較的最近国内盤で恋歌発売されていたシリーズものの一つです(今は中古でないと入手難かも知れません)。



クーベリックと言えば、「わが祖国」の正規録音だけで6種類(そのうちのいくつかは当ブログでエントリ済み)、やはりスメタナの国の人なのでありますが、←こちらはスメタナの「それ以外の」交響詩を集めた録音。彼の最後の作品となった「プラハの謝肉祭」も収められています。手兵を率いた演奏はどれも音に伸びがあり、迫力と歌のバランスがよく取れています。作品に対する深い愛着が込められた演奏。個人的には、「ハーコン・ヤルル」が良いと思います。



追加で収められているのは、作品の数は決して少なくないながら余り録音が知られていないクーベリック自身の作品。ここに入っている弦楽のための作品は、シンフォニエッタ風の4楽章作品で、彼がロンドンにいた頃の50年代に作曲されたもの。特段前衛的なところはなく、ただリズムの使い方がバルトーク辺りともちょっと異なり、結構独特な世界を持っています。小編成の弦楽合奏にも緊張感がみなぎり、なかなかの好演です。





[参照ディスク]

スメタナ:交響詩「リチャード3世」、「ヴァレンシュタインの陣営」、「ハーコン・ヤルル」、プラハの謝肉祭、クーベリック:弦楽のための4つのフォルム

クーベリック指揮 バイエルン放送響、イングランド室内管

DG: UCCG-3960 (1971、69年録音)







2013年3月 2日 (土)

タヒチのコーラス

というわけで、しばらくぶりにちょっとうちのCD棚をあさってみますと、かつて購入していた民族音楽系ディスクの束というのが出てくるのであります。あれ、これってブログで採り上げたことなかったけな?と思いつつ、検索しても引っかかってこなかったので、仮に以前触れたことがあったとしてもネタにさせていただきます(もうこんだけエントリしているとその辺はかなり面倒くさくなってます)。



南太平洋の常夏の楽園、タヒチ。イメージ的にはリゾート、観光、という感じしかないような所ですが、ここに凄い音楽があるのであります。特にここに採り上げる「Tahitian Choir」というディスク(参照ディスクには「Vol. II」とあるのですが、Iについてはよくわかりません)、タヒチのいわゆる原住民の方々冠婚葬祭関連の合唱をまとめたディスクで、いかにも地元のおっちゃんおばちゃんのコーラスという感じのローカル色あふれる歌声、と片付けようとするとその2曲目に度肝を抜かれます。



この種の音楽に独特の地声のハーモニーというのを、ふんふんそういう感じね、と聞き流そうとすると、ワンフレーズが終わったところで突然、いきなりテープの回転数が落ちたような感じでコーラス全体の音がずり下がっていき、下りきったところで次のフレーズがソロで始まり、そこにまたそのキーに合わせたハーモニーが展開するという不思議な音楽。少なくとも録音された音楽として、同じような例を私は聴いたことがありません(その2曲目の視聴はこちら からできるはずです)。同様の不思議なトーン(ロングトーンのパートがズズーッと音を下げていき、下がりきったキーで次のフレーズを導く形で転調していく)は6曲目、10曲目、14曲目などにもでてきます(全般に、合唱のトーンとしてはそのようにずり下がっていくトーンを楽しむという趣があるように思われる)。ディスクのリブレットには、ご丁寧にも、




「Note: It is important for the listener to be prepared for the possibility of physical sensation or reactions that these tones invoke]




という注意書きが書かれていたりしまして、まあ聴いて気分悪なっても知らんで、ということなんでしょうが、そんなこと書かれてしまう録音って何よ、という気もしますがね。ともかく、Tonal Scale と表現されているこの音の動き、かなり真似をするのが難しいのではないかと。



しかし、ともかく全般的に、エスニッククワイアの極めて素晴らしい録音として、単にマニアのネタとしてではなく、多くの方に聴いていただきたい音だと思うのであります。人の発する声と音だけでこれだけの面白い表現があるということなんです。是非触れてみて下さい。




Cdcover_64055 [参照ディスク]
Tahitian Choir Vol. II

1. Tamaiti Junahia     2. Ua Putuputu Tatou E
3. Tangi Maha Te     4. Te Ture A Te Ariki
5. Te Poti Varua     6. Tineifara
7. Te Kuri     8. Te Tia Mamoe
9. Te Pure A Te Fatu     10. Eifiti Fenua Herehia
11. To Na Tere     12. Te Moko
13. Neki Neki     14. I O Nei Matou E Haamaitai Ai
15. Te Aito No Tevaitau Ra E     16. I Roto I Te Are Nei
17. O Itamina Te Vahine

Rapa Iti

SHANACHIE  64055  (録音年は明記されていませんが、それほど古いものではないと思われます)






2013年1月 6日 (日)

○○年の作曲家

今年はもう、ヴァーグナーとヴェルディで終わりやんけ、という説もありますし、実際イヴェント的にはこの2人の生誕200年で大方のクラシック村は埋まってしまうのでしょう(もう少し昔ならもうちょっと盛り上がったんでしょうね)が、それでは当ブログの志向するところとは若干異なってしまうので(まあ別に良いんですが)、もうちょっと広げときましょう。



まあメユールやダンツィの生誕250年がイヴェントになるとは思えませんし、ヴェルディと一緒にアルカンの生誕200年を祝え、などというつもりもありませんが、マスカーニの生誕150年はサブのイヴェントぐらいに置いてもいいんじゃないかと。ピエルネも150年ですね。生誕100年にはルトスワフスキ、モートン・グールド、そしてブリテン。結構いるではないですか(ヒンデミットの没後50年、とかいうのはちょっと苦しいかなと)。



Cdcover_4251002 というわけで、以前(と言ってもだいぶ前ですが)ピアーズとの声楽曲を採り上げたことのあるブリテンの、比較的後期に属する器楽曲の名作、いわゆる「チェロ交響曲」を挙げておきましょう。この曲、ブリテンの作風があまり一般大衆受けしない方向に行ってる時期の作品で、同じ頃には「カーリュー・リヴァー」なんていうのもあるわけですが、とにかく演奏が難しそう、で特にメロディで聴かせる曲ではなく、音的にもオケとソロがぶつかり合う感覚のところが目立つ分、オケのパチパチッとくる感覚(第1楽章の再現部クライマックスなど、邦楽の響きのようです)とソロの幅広く充実した音色が要求されます。



最近の演奏にも優れたものはあるようですが、ここは作曲者と、非常に信頼関係の篤かったロストロポーヴィチとの共演を避けては通れないでしょう。チェロソナタの名品も彼らのコラボレイションで作り上げられているようなものですし、この曲もロストロポーヴィチに献呈され、モスクワフィルと初演されているというものです。非常にクールな音感覚で進められつつ、演奏家として脂の乗った時期にあったと言えるロストロポーヴィチのゆったりとオケに対峙する姿が、何度か聴くうちにググッと入ってきます(逆に言うと、一度聴いただけだと「何じゃこれは」ということになりそうな曲、ということだとは思うんですが)。



指揮者関係では、アルヘンタ、ロヴィツキ、シルヴェストリ、フルネ、レイポヴィッツ、ブールといった渋めのメンバーが生誕100年(さらに古いのでいくとヴァインガルトナーやシャルクの生誕150年なんてのもありますが)。既にその絡みではないかと思われる録音もいくつか出て来ているようでありますが、そこいら辺は聴いてネタにできそうならしていきましょうか。



(参照ディスク)
ブリテン:チェロとオーケストラのための交響曲、シンフォニア・ダ・レクイエム、カンタータ・ミゼリコルディウム
ロストロポーヴィチ(Vc)  ブリテン指揮、イングランド室内管、ニュー・フィルハーモニア管、ロンドン響、同合唱団
DECCA:425 100-2 (1963,64年録音)










2011年12月31日 (土)

年の終わりにラオスのガールズロック

皆さま、いつもご来訪いただきありがとうございます。



今年はTXのジルベスターの司会も代わっちゃったし、井岡はテレビ的には大いに困ってしまうぐらいあっさり終わらせてしまったし(そのあとの内山の試合は面白かったですね)、他のテレビも見栄えしないし(実はBS1でもう見たはずのなでしこジャパンを見ているのが一番面白いぐらいだったりする。あ、レディーガガの次に小林幸子の獅子舞、という配列は少しだけ受けました、というかそこだけ見てました)、というわけで、この前BSでやってたスカラ座の録画を見ながら、本年の最終エントリであります。



さて、以前もラオスのヒップホップ系CDを紹介したことがありましたが、ちょっと前にNHKでも紹介されたと記憶しているIndee Recordsは、いろいろとラオスのちゃんとしたポップ系を出してきているのでありますが、日本でもそうであるのよりさらに激しく、ラオスではCDというメディアがかなり衰退しているのでありまして、多くはネットから落としてみんな楽しんでいる、という状況です。CD自体は150円ぐらいなんですけどね。



Nalin CDアルバムでまともなものには数年前に出たっきり、というのも結構あるのですが、最近しばしば聴いているのは、←こちらのNalin 。彼女も2008年頃にデビューしていて、このディスクはビエンチャンの町にAlunaやTik Princessなどと幅広く出回っています(それ以降になるとあまりCDで出てこない)。特に有名なのはWao Bar Bar という曲(PVの作りが相当にベタなのはまあご愛敬)で、これはラオスではヒットチャートのトップを数ヶ月にわたって占め続けたほどの人気だったそう。彼女のパワーと張りのある声で、確かに他のラオスの歌手とも一線を画す独自の世界を作っていますし、歌唱はラオス語ですが、どこへ出しても遜色ないクオリティを持っていると思います。



割とベタなステージとかもやっているようですが、このアルバムは基本的には「見通しのよいガールズロック」という感じ。しかしパワーと軽快さのバランスが良くて、聴いていて気持ちいいものがあります。ラオスのガールズロック?というと変な印象をつけてしまうかも知れませんが、普通に聴いて楽しめるディスク。わざわざ通販で高いディスクを買ってまで、とは言いませんが、ネットを漁れば音源はいろいろと出てきますので、一度聴いてみられることをお勧めしたいです。震災以外にもいろいろあって、決していい年とは言えなかった2011年ですが、こういう元気のいい音を楽しんで、前向きに新しい年を迎えたいものです。



(参照ディスク)
Nalin: Nalin Daravong
1. Wao bar bar  2. Bor warn tea jinjai  3. Rom park paw 4. Ya chak koi pai 5. Kon ni sai dee 6. Lond ma rak kan 7. Ku kak ru bor 8. Chut tee fan wai 9. Kom lap tar noan 10. Fean rao yu sai
Indee Records: (2008年)



というわけで、2011年のエントリはこれにて終了です。ブログを始めて7年目、ブログというメディアにもいくらか寂しさの増してきている今日この頃ではありまして、私もかなり「ベタな平日・休日」の期間が長くなり、国内のニュース(まあ、最近はあまり見ていて面白いものが少ないですが)に反応するエントリもしづらくなっているというのもあるわけですが、まあ毎日更新とまでは行かなくても、引き続きもう少しはぼちぼちやっていきたいと思います。



来年も(と言いつつもうすぐですが)どうぞよろしくお願いいたします。



2011年4月10日 (日)

ミトロプーロスのマーラー第9番(2種)

ミトロプーロスのマーラーは、既にこちらこちら  のエントリで取り上げてきましたが、2種類の録音が残されている曲がいくつかありまして、その一つが今回の第9番です。しかも同じ1960年、彼が亡くなる年の演奏が2種類です。



Cdcover_arpcd0514 一つは1月23日、気心知れたニューヨークフィルとのカーネギーホールでのライヴ。本当にこの年、生誕100年ということもあって、彼はこのオケと(だけではないですが)集中的にマーラーを演奏していまして、音質はどれもまあぼちぼち、程度ではありますが、まあ十分鑑賞できるレヴェルで録音が残されているのが有り難いところです。



演奏ですが、全般にかなり速いテンポ。第1楽章は相当にサラッと始まりますが、途中ではかなり動きが激しく、一つの流れを何とか保ちながら進んでいく、という感じ。しかし粘りは強くなく、曲自体のレンジを思い切り引っぱり出してどどーんと押し出す非常に密度が濃くエネルギーの強い演奏。いかにもミトロプーロスという雰囲気ですが、例えば再現部のクライマックス以降の明滅する楽器の重なりとかは精細で、静と動の対比も見事です。他の曲でも言えるのですが、いかにもミトロプーロス、という所は感じさせつつ、一方で後の時代を感じさせる演奏と言えます。



中間楽章も同様、そして第4楽章も、速めのテンポ(21分で終わる)で、これも引きずり叫ぶことはほとんどなく、客観的な、という言い方もできるかも知れませんが、やはり、最近私が思っている、「死を前にした諦観、ということではないやろ、この曲」という所を意識させてもらえる演奏のように思われます。




Cdcover_an4996 一方←こちらは、以前からマイナーな所で出ては消えていたと言われる1960年10月2日にムジークフェラインザールでのライヴ録音。オーストリア放送協会が放送しており、ここに収められているのは個人のエアチェックと言われる音源です(放送局のアーカイヴには本当に残っていないのだろうか)。残念ながら出自がそういう筋なので音質には特にレンジの面で限界が感じられますが、聞き辛くてかなわない、と言うほどではなく、何とか鑑賞に堪え得るレヴェルであろうと思います。



さて演奏ですが、こちらは亡くなる僅か1ヶ月ほど前のもの。前者と同じ年でありながら、特にテンポがかなり違う印象を受けます。演奏時間はNYP盤より6分半ほど長く、特に第1楽章は2分半ほど長いだけでなく、序盤でかなりゆっくりと、そして若干しっとり感のある音になっています。この辺りはNYPにはないVPOの「色」なのか、とも思われますが、一方では、特に第2、3楽章辺りでも、VPOの楽器の特性から見て、あまり早い演奏を強いることができなかったのでは?という話もあって(たださらに古いワルターのライヴが70分弱という現在から見ると相当速い演奏であるだけに多少疑問)、またこれだけの短期間に演奏がかなり違った表情を見せることになっているだけに、VPOが与えた影響か、それ以外の何らかの心境の変化も相まってのことなのかという点には興味があります。



第2楽章以降も、オケにあちらこちら不備が散見されるものの、緊張感をはらんだ弦の音などはある程度は伝わってきます。終楽章は時間以上にNYPよりもゆったりした空気を感じさせる演奏。恐らくもう少し音質が良ければ、その深みも一層良く理解でき、多分さらに大名演としての評価が与えられるのではなかろうかと思うわけですが。




ミトロプーロスの亡くなる年に、マーラーについての歴史も持ち、この曲も初演されたウィーンと、この曲が一応の完成をみた場所であるニューヨークでの2種類の録音が、それもいろいろな要因があってか、かなり異なる表情で聴けるというのは興味深いものです。NYP盤は、M&Aのセット(夢に出てきそうなジャケット写真のやつ)がまた出回りだしましたし、安くて手軽なArchipelからも単売で出ていますから手に入りやすいですが、VPO盤はAndanteがレーベルとして仏Naiveに買収されて以降、廃盤になって入手難になっているようです。しかし古い録音に抵抗のない方には是非とも聴いておくべき録音ではないかと。




(参照ディスク)

(上)マーラー:交響曲第9番
ミトロプーロス指揮 ニューヨークフィル
ARCHIPEL: ARPCD0514 (1960年録音)



(下)ブルックナー:交響曲第8番、マーラー:交響曲第9番、R.シュトラウス:死と変容、英雄の生涯
カラヤン、ミトロプーロス、ベーム指揮 ウィーンフィル
ANDANTE: ANDANTE4996 (1957,60,63年録音)







2011年4月 5日 (火)

ふと見てしまうLive Aid

このようなご時世だと、辛気くさいこと言わずに、折角世界が支援してくれようとしているときに、思いっきり大きいことやってみたらいいんじゃないの?と思ってしまうことがあります。



と言っても、ちょっと数時間、一般家庭数千世帯分の電力を使おうと言うだけで不謹慎と目くじら立てられてしまうような国では無理かも知れませんが。



Liveaiddvd 時折、ふと見たくなってしまうのが、26年前のLive Aidを記録したDVD です(ググればいろいろと断片を見ることができますが、状況が良いのはやっぱりDVD版でしょう)。これ自体完全版ではないとか言う人もいますし、中にはパフォーマンスや収録状況が万全でないアーティストもいますが、そんなことは大した問題ではない。別に災害の現場でやってる訳やないやんか、という声もあるかも知れないが、細かいことを言う向きは放っておいても大勢に影響はないでしょう。目的を実現するためにいろいろと問題があったとか、結果としてどうだったんよとか、言う人はいますが、結局こうして今でも「売ってチャリティにもできるコンテンツ」として残っていることは慶賀の至りとすべきものでしょう。



私が何度も見てしまうのは当然ながらDISC2の途中からで、当時諸般の事情で解散寸前の状況にあったと言われるQUEENがこの僅か20分少々のステージで完全復活した、という伝説のパフォーマンスです。こればかりは何度見ても同じ興奮を味わえます。この日Wenbleyに来ていた人々のうち、QUEENが見たくて、という人は決して大多数ではなかったかも知れない。それでも、あの4人が登場して、あのイントロを鳴らしたら、もう7万人の大合唱でBohemian Rhapsodyがうなりを上げてしまう。Radio GaGaでは誰もが取り憑かれたように両腕を差し上げ手拍子を打ってしまう。この日米英で延々と繰り広げられた数々のアーティストの競演の中で、結局彼らが全てを食ってしまったという驚異。これこそカリスマというべきものでしょう。この時はフレディも「尺」が決まっていることもあってか、とにかく短い時間に全てを放散し尽くすようなヴォーカルです。

そして、ディスクを3枚目に切り替えて、ロンドンでの締めにフレディとブライアンが再登場して奏でるIs This the World We Created? 泣かせます。



別にこれだけを聴くディスクではないのですが、これだけでも繰り返し聴く値打ちのあるディスクです。そして特にこんな時期だから、狭い世間が考えつかないデカイものがあって欲しいと思うんですけどね。







2011年3月27日 (日)

マーラーの交響曲第10番 クック版初演録音

マーラーの第10番という未完の大作の全貌を、最初に演奏できる形で世に提示したのは音楽学者のデリック・クックでありました。



1960年のマーラー生誕100年を機にBBCはラジオ放送としてマーラー交響曲の全曲放送を企画し、その際、ファクシミリ版として世に出ていた第10番のスケッチに関して、クックは初めブックレットの製作と解説放送に携わったようです。その後スケッチの検討を進めるうち、彼は補筆版の演奏を実行することをBBCに提案たこの曲の全曲版補筆に携わり、その年に欠落していた第2、4楽章の一部を除く約65分のオーケストラ版を作成し、協力者でもあった(クックの死後もクック版の「完成」に手を尽くした)ゴルトシュミットの指揮によるフィルハーモニア管の演奏でスタジオ収録、放送されます。



その事実を知ったアルマが、この版の演奏、出版の一切を禁じましたが(補筆自体の是非という点であれば、既にショスタコーヴィチやシェーンベルクが断ったという経緯もありますし、自らの死後は焼却して欲しいと夫に頼まれていたこのスケッチをクルシェネクに補筆するよう依頼したのは他ならぬアルマだったようですし、彼女も元々は作曲家を目指してもいたようですし、作品そのものにも目を通して内容自体はつかんでいたことでしょうから、、やはり自分の関わっていないところでこうしたこと-しかも完全な曲でない状態のものの補作演奏-が大々的に行われたことへの不満が大きかったのでしょう)、のちに音楽学者のディーサー(彼がシェーンベルクへの橋渡しなどを行おうとしていた)がその放送録音をアルマに聴かせ、その演奏によりアルマが翻意したという話はよく知られています。ですから当然放送局のラインでその当時の音源は残されていたはずで、それが今回、約50年ぶりにようやく日の目をみたということになります。



Cdcover_sbt31457 今回発売されたのは3枚組で、1枚目はクックがこの曲の補筆について、そしてこの全曲の概要について説明したラジオ放送の録音(聞きやすい英語ですが、こちら にそれを文章に起こしたものがあります)。ここでも述べられていますが、彼は決してこの作品の「完成」を試みたわけではなく、マーラーの交響曲草案に関する「Orchestral Realization」に過ぎないと意図しています。クック版に関しては、オーケストレーションが薄いとか、マーラーの音楽に嫌と言うほど盛り込まれているはずの対位法的処理が乏しくてやっぱりマーラー的ではない、という声もあるわけですが、それは(音楽学者であって作曲家ではないということもあるのでしょうか)彼の補筆姿勢から見て当然の所であって、マーラーのペンから大きく逸脱するような内容のものを作成するつもりは元々なかったわけです。最近では何故か(クック版によるアプローチには限界があるのか)カーペンター版を初めとする他者の補筆版がいくつも録音で出てきていますが、(補筆着手時期はクックより早いということはあるものの)カーペンター版なんかは(既にアダージョから)それはいくら何でもあり得ないでしょ、という「創作」がかなり入っていて、全曲聴き通す前に呆れてしまうような内容であるのに対して、クック版はきちんとマーラーの意図を提示している方に入るのではないかと思います。



ここでクックが語っていることで注目したいのは、第1楽章が第9番の第4楽章のような「全てに対する告別」(と言うべきかについては若干の異論はあるのですが)ではなく、新しい交響曲に向けての前奏である、という位置づけをしていること(従ってその演奏は葬送とみなされるような遅さではなくて、相当テンポが速く、終末的な雰囲気を持っていない)、第2楽章の「Scherzo-Finale」の記述から、彼がこの曲を2楽章で完成させる意図も持っていたと指摘していること(調性的にも、この楽章のコーダで元の嬰ヘ長調に戻っていることがあるかも知れないが、マーラーの音楽においてことはそう単純ではない)、第3楽章については、これを曲の中心としてもっと拡大するはずであったという意見もありますがそれには応じず、後半2楽章へのモティーフと心理的描写の提示のための楽章とし、4分程度の音楽としていること(交響曲第5番のように、この曲だけが独立した「第2部」とはならない)、第4楽章のオーケストレーションには第6番をヒントに、また対旋律の使用については第5番のスケルツォを参考にしていること、第5楽章冒頭の楽器使用(チューバについてはかなり演奏が難しいようで、他の版では他の楽器に差し替えられているケースもあるようです)についてはほぼクックのアイデアであること、最後の「カタストロフ」部分はトランペットとホルンについて楽器指定がなされていたようであること、といったところですね。



で、演奏なんですが、60年に不完全な形で演奏された方がかなり独特。第1楽章のテンポもそうですが(オケがもう少しゆっくり行きたそうで若干ギクシャクしている感もあります)、プルガトリオも最初驚くほどゆっくり始まり、低弦が入り始める辺りから突然スピードアップしてこれもオケがちょっと泡を食ったようになっていたり、とか、いろいろとややこしい部分はありますが、それでも、続けて演奏される第4楽章終盤から第5楽章の演奏は、この曲の恐ろしさも美しさも全て投入した部分へ非常に濃い密度で力を込めています。録音はこの時期の音としては非常に良いとは言えませんが、確かにこれを聴いてアルマがこの版の価値を認めたというのは十分理解できるものだと思います。単に他には聴けない「クック第1版」の資料録音、という以上の意味があると言えるのではないでしょうか。



そして、その後欠落していた断片も補って作成されたいわゆる「クック第2版」の初演が行われたのが1964年のProms。指揮は同じゴルトシュミットですが、オケがロンドン響に代わっています。こちらは60年の演奏よりも多少粘りがあって、第1楽章のテンポもやや遅めになっていますし、他の楽章もテンポはそんなに驚くような変化もないように感じられます。しかし演奏自体の振幅は初版演奏よりも濃く色づけされており、第4楽章最後のバスドラム(その後を含めて、一つ一つの打撃がとても奥深い所に響きます)から低音楽器のうめき、そして虚無感の中から立ち上がってくるフルート、それに続く弦の美しさには息を呑む思いがしますし、最後のトランペットのアルマへの絶叫が、それに続くホルンの冒頭のヴィオラ主題を受けてくずおれていく所には単に哀しみと言うだけでは表せない崩壊感を覚えます(ちょっとオケの音がこの辺り出切っていないような気もしますが)。そこから最後に至る絶唱と言うべき音楽も美しさは格別ですが、若干足早に通り過ぎているようにも思われます。音はモノラルですが、まあ鑑賞に大きな支障はありません。



ともかく、補筆のまだ途中経過であったこの版の録音は他にオーマンディ(こちら に書いたことがある)とマルティノン(私は未聴)ぐらいしかありませんが(まあ今後録音されることもないでしょうが)、この記録は他に代え難いものであることは間違いありません。マーラーの10番を知るうえではやはり欠かせない録音です。出切る限り多くの人に聴いていただきたい音だと思います(第10番そのものに関する件は、別途稿を改めてエントリしたいと思っていますが、さていつになるやら)。




(参照ディスク)
マーラー:交響曲第10番
1.デリック・クックによるBBCでの解説放送
2.デリック・クック補筆による第1版放送録音
3.デリック・クック補筆による第2版ライヴ録音

クック(P、コメント)、ゴルトシュミット指揮 フィルハーモニア管、ロンドン響


TESTAMENT:SBT3 1457 (1960年、64年録音)