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2011年12月

2011年12月31日 (土)

年の終わりにラオスのガールズロック

皆さま、いつもご来訪いただきありがとうございます。



今年はTXのジルベスターの司会も代わっちゃったし、井岡はテレビ的には大いに困ってしまうぐらいあっさり終わらせてしまったし(そのあとの内山の試合は面白かったですね)、他のテレビも見栄えしないし(実はBS1でもう見たはずのなでしこジャパンを見ているのが一番面白いぐらいだったりする。あ、レディーガガの次に小林幸子の獅子舞、という配列は少しだけ受けました、というかそこだけ見てました)、というわけで、この前BSでやってたスカラ座の録画を見ながら、本年の最終エントリであります。



さて、以前もラオスのヒップホップ系CDを紹介したことがありましたが、ちょっと前にNHKでも紹介されたと記憶しているIndee Recordsは、いろいろとラオスのちゃんとしたポップ系を出してきているのでありますが、日本でもそうであるのよりさらに激しく、ラオスではCDというメディアがかなり衰退しているのでありまして、多くはネットから落としてみんな楽しんでいる、という状況です。CD自体は150円ぐらいなんですけどね。



Nalin CDアルバムでまともなものには数年前に出たっきり、というのも結構あるのですが、最近しばしば聴いているのは、←こちらのNalin 。彼女も2008年頃にデビューしていて、このディスクはビエンチャンの町にAlunaやTik Princessなどと幅広く出回っています(それ以降になるとあまりCDで出てこない)。特に有名なのはWao Bar Bar という曲(PVの作りが相当にベタなのはまあご愛敬)で、これはラオスではヒットチャートのトップを数ヶ月にわたって占め続けたほどの人気だったそう。彼女のパワーと張りのある声で、確かに他のラオスの歌手とも一線を画す独自の世界を作っていますし、歌唱はラオス語ですが、どこへ出しても遜色ないクオリティを持っていると思います。



割とベタなステージとかもやっているようですが、このアルバムは基本的には「見通しのよいガールズロック」という感じ。しかしパワーと軽快さのバランスが良くて、聴いていて気持ちいいものがあります。ラオスのガールズロック?というと変な印象をつけてしまうかも知れませんが、普通に聴いて楽しめるディスク。わざわざ通販で高いディスクを買ってまで、とは言いませんが、ネットを漁れば音源はいろいろと出てきますので、一度聴いてみられることをお勧めしたいです。震災以外にもいろいろあって、決していい年とは言えなかった2011年ですが、こういう元気のいい音を楽しんで、前向きに新しい年を迎えたいものです。



(参照ディスク)
Nalin: Nalin Daravong
1. Wao bar bar  2. Bor warn tea jinjai  3. Rom park paw 4. Ya chak koi pai 5. Kon ni sai dee 6. Lond ma rak kan 7. Ku kak ru bor 8. Chut tee fan wai 9. Kom lap tar noan 10. Fean rao yu sai
Indee Records: (2008年)



というわけで、2011年のエントリはこれにて終了です。ブログを始めて7年目、ブログというメディアにもいくらか寂しさの増してきている今日この頃ではありまして、私もかなり「ベタな平日・休日」の期間が長くなり、国内のニュース(まあ、最近はあまり見ていて面白いものが少ないですが)に反応するエントリもしづらくなっているというのもあるわけですが、まあ毎日更新とまでは行かなくても、引き続きもう少しはぼちぼちやっていきたいと思います。



来年も(と言いつつもうすぐですが)どうぞよろしくお願いいたします。



2011年12月30日 (金)

[NFLモード]元日決戦へ

何だかんだしているうちにNFLはWeek16もとっくに終わり、現地元日の最終節も間近になってしまいました。NYGが勝った時点でDALは地区優勝決定なし、PHIの脱落が決定したためそのあとのPHI@DALは特に何ということもない結果に終わってしまい(しかもRomoがヘルメットにパスしたときの右手を当てて退場という変なオマケつき。まあ一応打撲ということで、Limitedながら練習にも参加していましたが、@NYGでは過去いろいろと痛い目にあっていますので、今回も厳しいところですね。あと、Breesは投げまくっているうちにあのD.Marinoのシーズン記録を越えてしまいました。今GB@NOでNFC決戦なら、多分NOが7:3ぐらいで有利ではないかと思いますが、そういうパターンは今シーズンはもうあり得ません。




さて、最終節に向けて、一応状況を整理しておきましょうか。



[NFC]


6つのプレイオフ枠に、可能性のあるのは7チームだけ(Westの2チームはやはり遅すぎましたし、CHIの5連敗はいかにも運がなかったという気がします)。WCも進出チームは決まっていますので、要はDAL@NYGの勝った方が地区優勝、負けた方はEliminated。地元での悪夢のような負け方がDALのトラウマになっていなければ良いですけど。



上から行けば、まずGBがHFA決定というこれ以上ない状況。ただ、こういうチームに限ってプレイオフ初戦に苦戦することがありますので。特に今年のGBはDFに多少難がありますから、序盤で取りきれなければ難しい試合になる恐れも。2番手はSFとNOが相星ですが、Conf内の成績ではSFが上です。最終節、SFは特に目標のない@STLですから、普通にいけば第2シードとなるはずです。



WCはDETとATLの進出が決定しており、最終節、DETが@GBという、相手が駒落ちにしても環境的に難しい試合をものにできれば5番シード。ATLはvsTBに勝ち、DETが負けたときだけシード順が上がります。ただ、ここでプレイオフ初戦の相手というのは、かなり重要だと思われますので、次戦はかなり気合いを入れていく必要がありそうですね。



[AFC]


AFCはもう少し、というか下の方がかなり複雑です。



まず、EastはNEが地区優勝で1st Rd. Byeまでは確定済。最終節(vsBUF)にもし敗れて12-4で並ばれた場合、BALにはStrength of Victoryの差で下回り、PITには負けているので、両方が負けてくれないとHFAを獲ることができません。



そのNorthは、BALとPITが11-4で並んでいますが、BALはPITをSweepしているので最終節で相星になればBALが地区優勝。PITが最終節@CLE、BALが@CINと、どちらも同地区のRoadなんですが、こういうときにその先の結果がかかっているCINより、何故かCLEの方が不気味に感じられるのでありまして、さてどうなるでしょうね。



SouthはHOUが既に第3シードにロックされていて、最終戦のvsTENはHOUにとっては特に意味を持たない試合なのですが、この結果がWC争いをかなりややこしくする可能性があってそれは下に。



West。神通力が止まりかけた感のあるDENが連敗で、OAKと星が並んでしまいました。最終節、もしDENがKCにホームで敗れ、SDが@OAKに勝つと3チームが8-8で並び、3チームの直接対決、Div内成績も並ぶことになりますが、Common Gamesの戦績でDENが上になり、SDは勝っても地区優勝とならないためEliminated。DENは勝てば地区優勝で、負けてもOAKが負ければ地区優勝です。しかし地区優勝を逃すと、8-8で即終了となってしまいます。



というところで、WCの残り2枠に、可能性のあるのが5チーム、ただし1つの枠にはPITかBALが入るので、残っている1枠を4チーム(CIN、OAK、TEN、NYJ)で争っている形。そのうち唯一9勝を挙げているCINが現時点では当然有利なのですが(もちろん残る8勝チームはとにかく最終戦勝つことが最低の条件)、そのCINの最終戦がまだ勝つ必要性を有しているBALというのが問題。この試合に負けて他の8勝組が勝った場合には、直接対決で勝っているTEN以外には(DENがWC争いに落ちてきた場合を含む)Conf内の成績で劣るので、TEN以外の2チームに揃って負けてもらわないといけないという厳しい状況になってしまいます。



で、もしCINが負けた場合に、DENが地区優勝となっていれば、OAKはとにかく勝ちが必要で、NYJには直接対決で勝っていますので、TENが負ければWC。ここでしかしTENが勝った場合には、Strengh of Victoryの微妙な差が問題になってきて、OAK、TEN、NYJいずれも勝ちならOAKがWCなんですが、そこでNYJがMIAに負ければTENがWC、といったとてもややこしい状態になります(なお、関連チームの全勝敗パターン別にPlayoff進出チームを表にしたファイル もあるのですが、あまりじっくり見る気は起きませんね)。NYJは自らがMIAに勝ち、CINが負け、TENが負け、OAKかDENが負けたときだけWCを得られるということで、相当な他力本願になります。



何はともあれ、レギュラーシーズンの残りは元日決戦のみです。









http://kawanohate20.blog.fc2.com/blog-entry-97.html

2011年12月29日 (木)

[ラオスのベタな平日]ラオス航空のエアバス(機内編・追記あり)

というわけで、今日から束の間の休みを日本で過ごしておりますが、今回の帰路、以前のエントリに載せたラオス航空のエアバス(A320-200)に乗りましたので、機内がどんな感じかをご紹介と。



Vte111227_02 Vte111227_03 今回乗ったのはワッタイからスワンナプームへの朝便(QV414)。ラオス航空の時刻は一時はほぼ固定されていたのですが、エアバス導入と新路線開設の絡みもあってかこのところかなり動いています。この便も以前は7:20頃の出発だったのですが今回は8:15(もちろん遅い方が楽だし、私にとっては接続にも特段変わりはないので助かる)、しかし年明けには6:50発に変更になるらしく、特にきっちりのスケジュールで旅行される方はきっちりとチェックされることをお勧めいたします。公式ウェブサイトの情報も正しくないことがしばしばあります(バンコク発もそうですし、夕方便も同様です)。ともかく、ラオス航空の飛行機に「前から」乗るのは初めてやなあと変な感慨に浸りつつ、機内に進みます。定員は約150人、実際に乗ったのは50人ぐらいだったでしょうか。



Vte111227_04 Vte111227_05 機内のシートは緑基調で、以前のQVとはだいぶ雰囲気が変わりました。そして、生意気にもビジネスクラスが登場。ゆったりシートですが乗っていたのは確か1人(おったんかよ、という気もするが)。まあ、シンガポール戦というそこそこの距離の路線も開設されたことですし、多分政府関係者とかそれなりのステイタスを持った人がフラッグキャリアを利用するにはやっぱりビジネスクラスぐらいないとね、ということもあるでしょう。



Vte111227_06_2 エコノミーも同色のビニールレザーのシート、まあシート自体は普通のエコノミーです。前には小型のパーソナルスクリーンがありますが、少なくともこのバンコク線では何も映りません。スクリーン横にはUSBの差込口がありますが、使えるものなのかは不明です。



まあそこは新しい機体、乗り心地はよく、静かなフライトです。ATRのときは頭上の荷物スペースに限界があって、仕事用の大きめの鞄やキャスターバッグとかだと入らなくて、足下に荷物を置いて隣の人にも気を遣いながら不自由な姿勢で座る、ということもしばしばあったのですが、少なくともそういった心配は無用になりますね。



Vte111227_07 機内のサービスに特段の変化はなく、機内食もビエンチャンのいつものブラッセリーから入れているパンとケーキのセット。でもおいしくないときのTGのミールボックスよりも、個人的にはこっちの方が好きだったりします。



というわけで、離陸からの所要時間も20分ほど短くなってスワンナプーム空港に到着、飛行機を降りてからバスに乗らなくてもいいのもありがたいところですが、大阪行きのゲートは想像通りターミナルの反対側で、却って遠かったりしました。



ワッタイ空港でTG乗り継ぎは搭乗券を別途カウンターで出してもらわないといけないし、荷物にはプライオリティタグがつかないので関空で出てくるのが遅くなるし、といったことはあるので、できることならスタアラ入りへ頑張ってね、と思うのではありますが、まあそこは後々への期待ということにしておきましょう。



(2/16追記)
その後パーソナルスクリーンは徐々に進化し、昨日乗ったバンコク便ではついに、映画、オーディオ、ゲームの3カテゴリでそれなりのサービスが登場していました。メニュー的にはそれほど多彩ではありませんし、何しろバンコク行きだと映画も半分ぐらいで終わってしまいますので、その辺微妙ではありますが、シンガポール線ではそこそこ値打ちを発揮するのでしょう。


ちなみに、ラオス航空はビエンチャン-ソウル便を早期就航させる方向で準備を進めているようです。まあかなり気分の問題ではありますが、乗りません。








[ラオスのベタな休日]モン族の正月(その2)

Vte122501 今年のラオスの「冬」は、結構寒いようです。ビエンチャン市内でも朝晩はセーターかウインドブレーカーが必須です。ちょっと田舎の方に行くと、本当に震える思いをすることになります。昼間も長袖で十分ですから、感覚的には大阪の10月末か11月初めぐらいで「秋冷の候」といった雰囲気でしょうか。またこの乾季は入った当初から(少なくとも私が滞在している期間は)雨のあの字も降らないという感じで、メコンの水位も大幅に下がり、中州が大きくなって広い砂浜のような状態になっています。だいぶシーチェンマイの方に近寄れますね。



さて、それはともかく前回 の続きです。12/25が今年のモン族の新年。前日大概呑まされたあとの朝はかなり寒く、10度を切るぐらいであったかと。朝からLongsaneの市場の辺りにやってくると、歩きやらバイクに乗ってやら、とにかくきれいな民族衣装に着飾ったモン族の女の子たちがメインの道路から西側へとよれる道に入っていきます。正月の祭りは10時頃から始まるということで、その少し前に、前からお世話になっている元郡司のお宅にお邪魔します。するとその近所に住んでいる確かに会った記憶はあるそこの親類の人がぜひうちに来て軽く飲んでいってくれと。無碍に断るわけにはいかないが、昼にはここを出なければならず、でも祭りもちょっとは見たいんだよ、という間もなく連れて行かれます。



Hmong011 どこの家でもそうなんですが、この時期、部屋の一角に、このような飾り物がしつらえられ、先祖への感謝を捧げています。お供えには卵やゆでた鶏が並べられるのも共通、飾りには5万キップ札がくっつけられていることもあって、これはご先祖様があの世でお金に困らないようにとか?結構日本人の感覚に似ているような気がします。元々モン族は中国南方の山岳地帯から拡散した民族で、日本人のルーツにも少しは重なるものがあるとも言いますし、顔立ちも信仰の形態もそう遠くないように思われます(彼らは仏教徒ではないので、ラオスにならどこにでもあるように思われる仏教寺院やストゥーパは彼らの村にはない)。



で、そこでまた鶏とか(ここの茹で鶏は味付けが凄く良かった)と一緒にほとんど麦茶か紅茶かという色合いのラオラオを午前中からえらくたっぷりと注がれ、そうこうしているうちに部屋にやって来たどこのおっちゃんやねん、という風情の人が実は国会議員だったりとか、世の中わからんものよ、と思っているうちにもう昼前ではないかいな。これはもう行かねばならぬと挨拶して、会場へと向かいます。



Hmong012 Hmong015 会場は市場から少し北に出た所から西に入る非舗装の道をしばらく進むと、丘の上に明らかにそれとわかるようにしつらえられていました。入口の狭い急坂からは想像しにくいぐらいに駐車スペースもたっぷり(有料。1台1万Kip)あり、既に人も多く集まり、大きなステージ(美人コンテストとか、歌手のライブが行われるらしいが、催しは午後からだったようで)が準備中、その他夜店のようなものも並んで、確かにお祭り感が出てますね。



Hmong014 Hmong013 で、このお祭りで特に有名なのは、男女がそれぞれ一列に並んで行われるボール投げ。今はなぜかテニスボールで行われていますが、別に投げる素材が問題なわけではなく、これっていわゆるモン族の若い男女の「婚活」なのであります。互いにボールを投げ合い、受け止め会いながら、いろいろな会話を交わし、相手を見つけるというもの。祭りでボールを持ってるのは女性の方で、着飾っている人は多いですが、婚活の対象者はボールを持っている女性、ということになります。



Hmong016 上の写真はまだ練習の状態。だから我々もちょっと中に入って参加してみます。あくまでボールは下手からソフトに。みんなそれぞれ多彩な衣装に、頭には飾りのついた冠のような帽子や、黒地に刺繍の入った帽子をかぶっていますが、これは必ずこれにしないといけないと決まっているわけではなく、個々に選ぶことができるんだそうです。最近は手刺繍のものはあまりなく(かつては各家庭で刺繍していたそう。モン族の手先の器用さはよく知られています)、機械ものが多いようです。なお、←こちらの左のように、他とは雰囲気の違う、肌をより多く露出した衣装の子が何人かいたのですが、それは外国からこの時期に里帰りして祭りに参加している人なんだそうで、衣装でその辺りを区別しているんですね。



Hmong017 Hmong018 まだこのLongsaneという所はホム郡の中心地でありまして、田舎とは言え多少は町の雰囲気を持っています。というわけで、「ちょっと写真撮らせて」とお願いすれば←左の写真のようにちょこっとポーズも取ってくれたりします。もっと田舎の村に入っていくと、カメラを向けると異様に警戒されたりもするらしいです。



さて、これらの写真をご覧戴いてわかるように、どの女の子もかなり若いのであります。「婚活?」という言い方もちょっと早すぎか、と思う程ですが、実際の所ここらの女の子の結婚年齢はかなり早く、20歳の子持ちなんぞは珍しくもないというところです。気に入った相手がいれば、女の子も結構積極的だったりするらしく、性的にもおおらかな面があるようです。でもまあここいらは、大雑把に言えば、昔の日本のように、十五でねえやが嫁に行く世界ですね。ビエンチャン辺りではいくらか都市化も進んでいるためか、初婚の年は遅くなっていく傾向があるようで。



とまあそんなことを言っている間に時間が。断腸の思いで会場をあとに(ってまあそこまで深刻な話でもないですが)。続きは私にとってはまたあるかどうかわからない次回に、ということですかね。




(この項終わり)







2011年12月26日 (月)

[北朝鮮]長男が消えた?

昨日のエントリでも触れましたが、ラオスの田舎で衛星テレビの入っているゲストハウスだと、朝鮮中央テレビが映る、というケースが時々あって、この週末は、金正日将軍マンセーの合唱と、やたらと耳についてループしてしまう葬送行進曲をバックに三男を先頭にした政府首脳が将軍様の遺体安置場所に参列するシーン(+泣き女泣き男大集団)と、かのリ・チュンヒ女史も復活して各国からの金正日同士への弔意が伝えられているのニュースとか、亡き将軍様の最近の輝かしい業績と視察風景を伝える映画とか、とにかくそういうのが再放送込みでずーっと流れている、という状況でありました。



とりあえず、表面上は静かに、三男への後継に向けた諸活動が進んでいるようではありますが、しかし権力は継承期の境目の時期が最も危険にさらされるわけで、ここ最近、急に若い世代の軍部での登用と旧世代の左遷、粛清が進んでいたと言われるのはその過程の出来事であったわけでしょう。そして、国外にいて恐らく日本のマスコミが最も多く接触している金王朝直径関係者であるこの長男にも、何だか怪しげな情報が出てきているようです(それにしても、こういう場合の「消息筋」って何者?)。





父である将軍様が生きている間は、「不肖の息子」という存在であっても立場をある程度は保障され、また裏のビジネスの関係者として使われrてきた部分も恐らくあったのでしょう。しかし世代が変わって、さらに権力を握るのが弟、という状況になれば、自らは権力者としての道は捨てたと認識していても、恐らく穏やかでないものを抱えることになるでしょうし、そういう器という存在とは認識されなくても、そのような人物がしかも完全にコントロールできない外国に住んでいる、というのは、権力者にとって面倒な存在なのではないでしょうか。



「ディズニーランド事件」(実は三男も偽造旅券で行ったことがあるらしいですが)以降、北の裏街道みたいな立場にいるような正男氏ですが、当然いらない行動を起こさないように当局がガードしている、逆に言えば、上からの指令で邪魔となれば消される可能性がある立場であり、本人も、こういう粛清が常識の社会は実の兄弟とかの関係も飛び越えて行われ得る、というのは十分認識していることでしょう。



多分どこかに身を隠しているのではないかと思います。彼自身に国内を動かす力があるようには思われませんが、将軍様にとってよりも、正恩氏にとっての方が、「存在していて欲しくない」という立場上の色合いが強くなっているのは間違いないでしょうから。







[ラオスのベタな休日]モン族の正月(その1)

Hmong001 今年最後の「ベタな休日」は、ビエンチャン市内から道路距離で約130km、ビエンチャン県はホム郡のLongsaneというところです(写真はここでいつも宿泊するVang Chao GHという宿泊施設ですが(最近衛星テレビを導入して、朝鮮中央テレビをみることができるようになった)、13号線をThabokの少し手前で北に折れ、Phu Bia Miningが整備した道で山を抜けてLongsaneの村が見えてくるときにはいつも、「桃源郷とはここのことか」という思いがします)。この辺りから県内北東部、かつてサイソンブン特別区と言われていたエリアはモン族が多く居住しているところで、山岳民族ですが諸般の歴史的事情で平地に定住している彼らは仏教徒ではなく、正月は太陽暦でも仏歴でもなく、12月の新月の翌日、に祝っているらしいです(地域によっては、もう少し早く正月祝いをしているとも聞きましたが)、で今年は12/25がクリスマスではなく正月に当たる、ということで、宴会に呼ばれていったのであります。



Hmong002 Hmong004 まずは郡職員のとある方の家で、バーシーに参加させてもらいました。私も初めてだったのですが、バーシーというのはラオスではいろいろな節目の時に行われる儀式で、この家では男の子が生まれて最初の新年を迎えるということで行われていたようです(ラオスではモン族の家でも行われているようですね)。



Hmong005jpg Hmong01 テーブルに特別な飾りがしつらえられ、お菓子や卵、ゆでた鶏が添えられ、祈祷師が祝詞を上げて、儀式のメインになる家族それぞれの手首にに白い木綿の糸を結びつけます。それに続いて参加者が同様に白い糸を一本一本巻き付けていき(子供には一緒にお札を挟み込んであげたりします。魂を強くし、お金に困らないように、とか、何だか日本でもありそうな感じですが、そういう思いを入れるんだそうです。それが終わると集まった人たちで食事。女の子がラオラオ(薬草につけてあって褐色をしたやや強めのやつ。この時期にはお店でペットボトルに入ったのを山積みにして売っている。自分の家で漬け込んでいるところもあるらしい)を小さなグラス2杯に入れて運んできます。両方呑んで回していくんだそうで、若い女の子がせっせと注いで回っているのを断るわけにはいかず、さらにそのあとはビアラオが何度となく回ってきます。この家の主(実は朝からかなり呑んでる)はもう完全に出来上がって、昼過ぎからかなりヒートアップします。



Hmong009 Hmong008その後、夕方にまたある政府関係者の家に来てくれ、ということで行ってみますと今度は大晦日の大宴会。家庭では鶏を使った独特の儀式があって、祈祷師が雌雄2羽の鶏を抱えて、また卵が積まれ線香が焚かれた小さなお膳のようなものを前に炭を持って家の各部屋を回り、台所でも祝詞のようなものを唱え、それがひとしきり終わるとその鶏をさばいて茹で、それで新しい年の運勢をみるんだそうです。でも結構周りの人はあまりお構いなしに宴会モードに入っているところが何とも。



Hmong04 Hmong007で、日が暮れてちょっと肌寒くなってきた頃から、もう誰が誰かわからんぐらいに人も集まって、郡司も参加して、呑んで歌って踊ってと結構大変なことになってきます。こういうときには有力者がこぞってあちこちで、また日も変えたりして宴会をやっているようで、そこここでまた若い女の子がビアラオを注いで3重ローテーションぐらいの回し呑み状態になります(左の写真の女の子は14歳と言ってましたが、結構自分もビアラオ呑んでましたよ。まあこの辺りはおおらかなもんですね)。



Hmong006_2 で、大音量のローカルソングがかかり、おねいさま方からほとんど無理矢理踊りましょうとお呼びがかかり、見よう見まねで踊っているうちに夜は更けて、モン族の新年を迎えるわけであります。



翌日の新年祭り、こちらにも業務の都合があってビエンチャンに戻らなければならず、本当に少しの間しか見ることができなかったのですが、ここらではよく言われる「モン族には美女が多い」という話は果たして本当か、確認することができましたので、当ブログには珍しく華やかにもう1回お送りしたいと思います。




(この項つづく)







2011年12月25日 (日)

[コカイン]仕込むにも程がある

欧州危機の震源地近くでやはりこういうことでないと儲からないと言うことでもあるのか、イタリアでも麻薬の密売摘発が強化されているようで、予防対策もあの国としてはかなり頑張っているようです。



そんなところにあっさり引っかかってしまったのがこの女性、元モデルの33歳です。





残念でした、というと不謹慎な言い方かも知れませんが、これはどうなんでしょう、ちゃんと言い訳を仕込んでいなかったのが問題なのか(演技力のなさが最終的にとどめとなったのは間違いなさそうですが)、それともバストとヒップにコカインを仕込んでいる状態がすでにあからさまに不自然だったのか。



おそらく後者の方が大きかったのではないかと。でないと、カマかけた職質とかしないですよね多分。



元モデルと言っても現在の体型がどうだったのかは不明ですが、恐らく(あくまで想像ですが)バストは思いっきり寄せるための仕込みが割と可能なのかと思いますけど、お尻に仕込みすぎると結構わかりやすいんじゃないでしょうかね。



あえてカムフラージュのために、スリムな服装で捜査官の目くらましを図っていたみたいですし、何かがはみ出てたとまではいかないまでも、結構怪しい姿に見えるぐらいだったんでしょうね。2.5kg仕込むのって、さすがに簡単ではないと思います(どういう配分で隠してたんでしょうか)。




これは明らかに故意の運び屋ですが、「荷物預かってくれ」で運び屋にさせられるケースも怖いですから、近寄らないようにしましょうね。







2011年12月23日 (金)

[仙台?]パンダとバブル

入居具合のよろしくない仮設住宅でもあてがうつもりでしょうか、笹は山に行きゃ生えてるから大丈夫とか思ってるんですかね。





今や仙台は強烈な復興バブルで、歓楽街も大賑わいだそうですね。遅蒔きながら復興のための補正予算がつくと、それは必ず使い切らなければならず、必ずしも必要な者にだけお金が振り向けられるとは限らない。仙台の市長も、急に予算が降ってわいてきて、なんだか金が余っているような気にでもなってきたのでしょうか。



しかし、それが今この時代この時期に、パンダとは。



中国様から本体も家もエサも飼育担当者も、無償で持ってきてくれるとかはさすがに思っていないでしょうが、さすがにこれは「まだ他に使い道があるやろうが」という声が強くなるのでは。



特に折も折ですから、このために中国様に何をしに行くんや?という話にもなるでしょうしね。



いずれにせよ、そんなにスジの良い話には見えないのですが。何だか「除染バブル」に遠くないような臭いが感じられます。







2011年12月22日 (木)

[訃報]上田馬之助さん71歳

若い方にはもはやなじみのない方かも知れませんが、私らのような昭和後期にプロレスに親しんでいた者にとっては忘れることのできない、日本人として最初で最後の大ヒールです(少なくとも、私はそう思っています)。





15年前に不慮の交通事故で脊髄損傷の大けがを負い(普通の人なら間違いなくそこで亡くなっていたはずだと言われている)、レスラー引退を余儀なくされて車いすでの生活を続け、晩年には車いすでの移動もほとんどかなわない状態だったと言われています。



しかし、貼り付けたニュース映像だけでなく、国際、新日、全日と、特にタイガー・ジェット・シンとタッグを組んで市内を振り回して暴れていたときの強烈なヒールぶりは、まさにプロとしての真骨頂であったと言えるでしょう。一方で、こういう強烈なヒールの人に典型的な、普段は非常にまじめで、周りをよく気遣う方だったと言われています。



パワーもあって、実は正統派のプロレスも非常にうまくこなせる、しかし本当に何をやらかすかわからない怖さを持つキャラ、というのは、なかなかできそうでできないものです。プロレスの佳き時代を作った人が、次々と亡くなっていくような気がして寂しいですね。



そう言えば、昔言ってたことがあります。「アンドレより馬之助が安し」って。



謹んでご冥福をお祈り申し上げます。







2011年12月21日 (水)

[ラオスのベタな平日]朝晩めっきり秋の涼しさが

って、年末ですやん。




というわけですが、特にこの時期、日中は半袖でも過ごせるぐらいですが、朝晩は気温も15度くらいまで下がり、長袖必須、寝るときもスウェット上下ぐらいでちょうどいいぐらいの状態になりまして、もうすっかり秋ですね、と言いたくなる気候の「ベタな平日」なのであります。



Laopla01 この年末かなり押し迫った時期までビエンチャンにいるというのは私としては初めてでありまして、結構イルミネーションも賑やかな様子に、おお、ビエンチャンもキリスト教関係ないけど(時折協会があったりもするのですが)こういう派手なのは好きなんよね」と思ってしまったりするわけです。



←こちらラオプラザも、普段は22時を過ぎると表の照明を落として、ということになっているのですが、今の時期は遅くまでこんな感じでやってはります。



でも、中心部の町中が別に夜中まで浮かれて賑やかなわけでもなくて、店はいつもの時間に閉まりますし、むしろそうなると、遅くに歩いていると気温が下がってきて、道行く人の服装もちょっと地味になってきたりすることもあって、若干のうら寂しさを覚えたりすることもありますね。やっぱり秋ですね、ここは。年末やけど。