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2011年3月27日 (日)

マーラーの交響曲第10番 クック版初演録音

マーラーの第10番という未完の大作の全貌を、最初に演奏できる形で世に提示したのは音楽学者のデリック・クックでありました。



1960年のマーラー生誕100年を機にBBCはラジオ放送としてマーラー交響曲の全曲放送を企画し、その際、ファクシミリ版として世に出ていた第10番のスケッチに関して、クックは初めブックレットの製作と解説放送に携わったようです。その後スケッチの検討を進めるうち、彼は補筆版の演奏を実行することをBBCに提案たこの曲の全曲版補筆に携わり、その年に欠落していた第2、4楽章の一部を除く約65分のオーケストラ版を作成し、協力者でもあった(クックの死後もクック版の「完成」に手を尽くした)ゴルトシュミットの指揮によるフィルハーモニア管の演奏でスタジオ収録、放送されます。



その事実を知ったアルマが、この版の演奏、出版の一切を禁じましたが(補筆自体の是非という点であれば、既にショスタコーヴィチやシェーンベルクが断ったという経緯もありますし、自らの死後は焼却して欲しいと夫に頼まれていたこのスケッチをクルシェネクに補筆するよう依頼したのは他ならぬアルマだったようですし、彼女も元々は作曲家を目指してもいたようですし、作品そのものにも目を通して内容自体はつかんでいたことでしょうから、、やはり自分の関わっていないところでこうしたこと-しかも完全な曲でない状態のものの補作演奏-が大々的に行われたことへの不満が大きかったのでしょう)、のちに音楽学者のディーサー(彼がシェーンベルクへの橋渡しなどを行おうとしていた)がその放送録音をアルマに聴かせ、その演奏によりアルマが翻意したという話はよく知られています。ですから当然放送局のラインでその当時の音源は残されていたはずで、それが今回、約50年ぶりにようやく日の目をみたということになります。



Cdcover_sbt31457 今回発売されたのは3枚組で、1枚目はクックがこの曲の補筆について、そしてこの全曲の概要について説明したラジオ放送の録音(聞きやすい英語ですが、こちら にそれを文章に起こしたものがあります)。ここでも述べられていますが、彼は決してこの作品の「完成」を試みたわけではなく、マーラーの交響曲草案に関する「Orchestral Realization」に過ぎないと意図しています。クック版に関しては、オーケストレーションが薄いとか、マーラーの音楽に嫌と言うほど盛り込まれているはずの対位法的処理が乏しくてやっぱりマーラー的ではない、という声もあるわけですが、それは(音楽学者であって作曲家ではないということもあるのでしょうか)彼の補筆姿勢から見て当然の所であって、マーラーのペンから大きく逸脱するような内容のものを作成するつもりは元々なかったわけです。最近では何故か(クック版によるアプローチには限界があるのか)カーペンター版を初めとする他者の補筆版がいくつも録音で出てきていますが、(補筆着手時期はクックより早いということはあるものの)カーペンター版なんかは(既にアダージョから)それはいくら何でもあり得ないでしょ、という「創作」がかなり入っていて、全曲聴き通す前に呆れてしまうような内容であるのに対して、クック版はきちんとマーラーの意図を提示している方に入るのではないかと思います。



ここでクックが語っていることで注目したいのは、第1楽章が第9番の第4楽章のような「全てに対する告別」(と言うべきかについては若干の異論はあるのですが)ではなく、新しい交響曲に向けての前奏である、という位置づけをしていること(従ってその演奏は葬送とみなされるような遅さではなくて、相当テンポが速く、終末的な雰囲気を持っていない)、第2楽章の「Scherzo-Finale」の記述から、彼がこの曲を2楽章で完成させる意図も持っていたと指摘していること(調性的にも、この楽章のコーダで元の嬰ヘ長調に戻っていることがあるかも知れないが、マーラーの音楽においてことはそう単純ではない)、第3楽章については、これを曲の中心としてもっと拡大するはずであったという意見もありますがそれには応じず、後半2楽章へのモティーフと心理的描写の提示のための楽章とし、4分程度の音楽としていること(交響曲第5番のように、この曲だけが独立した「第2部」とはならない)、第4楽章のオーケストレーションには第6番をヒントに、また対旋律の使用については第5番のスケルツォを参考にしていること、第5楽章冒頭の楽器使用(チューバについてはかなり演奏が難しいようで、他の版では他の楽器に差し替えられているケースもあるようです)についてはほぼクックのアイデアであること、最後の「カタストロフ」部分はトランペットとホルンについて楽器指定がなされていたようであること、といったところですね。



で、演奏なんですが、60年に不完全な形で演奏された方がかなり独特。第1楽章のテンポもそうですが(オケがもう少しゆっくり行きたそうで若干ギクシャクしている感もあります)、プルガトリオも最初驚くほどゆっくり始まり、低弦が入り始める辺りから突然スピードアップしてこれもオケがちょっと泡を食ったようになっていたり、とか、いろいろとややこしい部分はありますが、それでも、続けて演奏される第4楽章終盤から第5楽章の演奏は、この曲の恐ろしさも美しさも全て投入した部分へ非常に濃い密度で力を込めています。録音はこの時期の音としては非常に良いとは言えませんが、確かにこれを聴いてアルマがこの版の価値を認めたというのは十分理解できるものだと思います。単に他には聴けない「クック第1版」の資料録音、という以上の意味があると言えるのではないでしょうか。



そして、その後欠落していた断片も補って作成されたいわゆる「クック第2版」の初演が行われたのが1964年のProms。指揮は同じゴルトシュミットですが、オケがロンドン響に代わっています。こちらは60年の演奏よりも多少粘りがあって、第1楽章のテンポもやや遅めになっていますし、他の楽章もテンポはそんなに驚くような変化もないように感じられます。しかし演奏自体の振幅は初版演奏よりも濃く色づけされており、第4楽章最後のバスドラム(その後を含めて、一つ一つの打撃がとても奥深い所に響きます)から低音楽器のうめき、そして虚無感の中から立ち上がってくるフルート、それに続く弦の美しさには息を呑む思いがしますし、最後のトランペットのアルマへの絶叫が、それに続くホルンの冒頭のヴィオラ主題を受けてくずおれていく所には単に哀しみと言うだけでは表せない崩壊感を覚えます(ちょっとオケの音がこの辺り出切っていないような気もしますが)。そこから最後に至る絶唱と言うべき音楽も美しさは格別ですが、若干足早に通り過ぎているようにも思われます。音はモノラルですが、まあ鑑賞に大きな支障はありません。



ともかく、補筆のまだ途中経過であったこの版の録音は他にオーマンディ(こちら に書いたことがある)とマルティノン(私は未聴)ぐらいしかありませんが(まあ今後録音されることもないでしょうが)、この記録は他に代え難いものであることは間違いありません。マーラーの10番を知るうえではやはり欠かせない録音です。出切る限り多くの人に聴いていただきたい音だと思います(第10番そのものに関する件は、別途稿を改めてエントリしたいと思っていますが、さていつになるやら)。




(参照ディスク)
マーラー:交響曲第10番
1.デリック・クックによるBBCでの解説放送
2.デリック・クック補筆による第1版放送録音
3.デリック・クック補筆による第2版ライヴ録音

クック(P、コメント)、ゴルトシュミット指揮 フィルハーモニア管、ロンドン響


TESTAMENT:SBT3 1457 (1960年、64年録音)





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